むかし、むか~しの大失敗 PART1

失敗談

※これは以前書いた記事を、今回あらためて読み直し、現在の視点から再掲載したものです。

25歳、私は「働かずに自由に生きる」という夢を、ネットワークビジネスに託してしまった

最近、過去の失敗談を話すことが多くなりました。

けっこう長めに続いている緊急事態宣言のせいでしょうか。

先のことが見えないときに、「こうすれば大丈夫」「これをやれば乗り切れる」と簡単に言い切るのは、私はあまり好きではありません。

直近の予測なんて、誰にも当てることはできないからです。

だから、この時期に私から何かをお伝えするとしたら、役に立つ方法論よりも、昔の失敗談のほうがいいのではないかと思いました。

今だから笑って話せる、遠い遠い昔の話です。

「こんなことをしてしまった人間でも、その後なんとか生きているんだ」

そんなふうに、少しだけ気持ちを軽くしてもらえれば、それで十分です。

今回お話しするのは、今から25年ほど前。私が25歳だった頃の、最初の大失敗です。

あれはちょうど、初めて就職した会社を辞めた時で、前の会社の先輩に誘われたことがAという会社を知ったきっかけでした。

はじめは「偉い人の講演会があるから来ないか」という誘いだったのですが、会場についたら、なんとけっこうな有名人のN・K氏がいるではないか!?

そう、誘われた講演はA社の勧誘会でした。

ほんの少しの時間ではありましたが、実に刺激的な講演でした。

当時の自分には、かなり響きました。

学生の頃に描いていたサラリーマン生活と現実とのギャップで挫折するまでには、反面教師ともなる人物像がいました。父です。

父は大手企業に勤めるサラリーマンで、晩年は子会社の責任ある立場に就いていました。

私が子供の時からの父の口癖は「俺は絶対にてっぺんをとる」でした。

会社で出世して、最後には社長になる。父にとっては、それが人生の成功だったのでしょう。

実際、子会社への出向という形ではありましたが、社長になれたのですから、夢が叶ったことは時はさぞかし大喜びだったのだろうと想像に難くありません。
(”想像に難くありません”と表現したのは、その頃、離婚で私は父のもとにはいなかったためですが、、、)

たが、私から見ていた父は、不幸のどん底へ転がり落ちていくようにしか見えなかったのです。

20代、30代は馬車馬のように働き、仕事上の付き合いで食生活も乱れ、終電を過ぎて帰宅しては寝るだけ。

そんな生活を続けた結果、30代でひどい糖尿病を患いました。そして、夢を目前にした頃には、家族との関係も壊れていました。

出世のために自分の身体をボロボロにし、家族からは総スカンをくらい、離婚されてでも手に入れたい夢だったのだろうか?
(随分前のことではありますが、父の家に訪ねた時「新しい妻との生活が幸せだ」という言葉で、やはり父は夢をかなえたあの時は幸せではなかったのだろうと思いました。)

そんな父を見て育った私は、少なくとも自分は同じ生き方をしたくないと思っていました。

会社員になったら、仕事だけで一日が終わるような生活はしない。

家族と一緒に過ごす時間をちゃんと持つ。

仕事もするけれど、仕事だけの人生にはしない。

それが私の人生設計でした。

ところが、実際に社会へ出てみると、そんなに簡単な話ではありませんでした。

就職した時期が、いわゆる就職氷河期だったこともあります。

しかし、今になって考えると、問題は時代だけではありませんでした。

そもそも私は、自分がどんな会社に入れば、どんな働き方になるのかということを、ほとんど理解していなかったのです。

何かになりたいわけでもなく、興味を持てそうな仕事を育て上げるために大学生活を送っていたわけでもありません。

ただ、漠然と給与待遇が良くて福利厚生が充実している会社には入れればいいかなあとしか考えていませんでしたから、それなら、何としてでも大企業に滑り込めばよかったのだと思います。

日本の1、2,3位を争う高偏差値大学を卒業した人間がウジャウジャいる中では、私が卒業した大学のレベルはたかが知れているからです。

だから、決して将来出世が約束されるような激忙しいエリート部署への配属はなかったでしょう。アフターファイブ重視の私にはそっちの方が合っていたはずです。

(とはいえ今思うと、その道じゃなくて良かったと今思います。私のような平凡な人間の大企業での末路は悲惨だったと思うからです。

おそらく40歳でリストラ対象か、良くても子会社の重要でない部門への出向となり、52歳では小さな取引先で倉庫整理のブルーカラーへの移籍、最悪は業務委託で給与超大幅ダウンの再出発だろうか。

20代悠々自適でルンルンで過ごせたとしても、30代からは間違いなく未来に希望のない会社生活が待ち受けていただろう・・・それが理由です)

しかし、中堅企業となれば違います。

大学時代の成績は、高校で言えばオール3の成績だったとしても、大学名だけは新卒社員トップでしたから、即エリート部署への配属となり、会社の中で一番売り上げの高い顧客の担当になってしまったのです。

早朝から終電まで仕事。
営業から戻ったら徹夜で内勤仕事。
夜中、営業車で家に戻り、着替えたら、会社に戻る。
重要な会議が毎週あれば、ほぼ毎週土日は資料作りで出社。

自分の時間など、ほとんどありません。

そして、その働き方は私の身体と心を壊していきました。

結局、私は2年弱で会社を辞め、その後は大きな病院に3年間通うことになりました。

今振り返れば、私が学生時代に描いていた人生設計など、まさに絵に描いた餅でした。

社会というものが、思っていたよりずっと厳しい場所だということを、25歳になるまでの私は、ほとんど知らなかったのです。

終身雇用は言葉通り、退職するまでは会社の奴隷状態、解放されて自由になれるのは退職後からか・・・。

そんな挫折感で打ちのめされた直後に出会ったのが、A社の講演でした。

講演の内容は、とても魅力的でした。会社に朝から晩まで拘束されるのではなく、自分で人脈を作り、自分の力で収入を生み出す。

うまくいけば、会社員時代のように毎日働かなくてもいい。

そして、

増えた時間を自分の人生に使える。
一等地の立派な住まい。
ブランドの服。
毎月のように海外旅行。
そんな華やかな生活を紹介されました。

もちろん、そこまで上手くいかなくても、片手間で働いて生活に困らないお金くらいの稼げればそれでいいのです。

私は家族団らんのある家庭を作りたかったので、生活に困らない程度のお金があって、会社に時間を全部持っていかれなければ、それで十分だと思っていました。

住宅ローンくらいなら、まあ、なんとかなるだろう。

今思うと、ホント甘ちゃんだったなあ、、、

社会の現実を突きつけられて退職という挫折したにも関わらず、相変わらず甘い考えから抜け出すことができませんでした。

とにかく私は、働く時間を大幅に減らして、何も困ることがないレベルの生活できる収入を得るにはどのような働き方をすればいいだろうか?と真剣に考えていましたから、A社の講演にドツボにはまってしまい、その場で即入会してしまったのです。

ちょうどその頃、看護師の仲介派遣事業を営もうと会社設立の同士探しのため、あっちこっちの交流会にも顔を出していたから、ネットワークを作るのは超楽勝かもしれないと思ってしまったのだ。

A社の話は実に単純でした。

私が1か月欲しい会社員時代の月給に相当する報酬を得るためには、最低3人の友達がいる1か月3万円をA社の商品を買う人を自分に下に10人つければよいということでした。

そして、これはA社が直接そう営業活動すれば良いと言っていたわけではありませんが、私が理解した範囲内で考えた営業方法は、子につけたい10人に、同じように儲けることができるというしくみを布教することが主な営業活動だと思ってしまったのです。

さらにいいことに、A社には洗剤やヘアケア、健康食品などの商品が充実している。となると、日常の実用品3万円分をA社の商品に変えればいいだけで、わざわざ、高額な浄水器や割高の健康食品を買う必要は全くないわけです。

と、頭の中ですらすらと計算が進んでいきました。

「損して得取るってことだな」

最初はそう思いました。

でも、よく考えてみれば、日用品として商品を購入するのだから、実質的には損をしない。そして、毎月3万円分を購入したものが、万が一、余るようであれば、候補になりそうな”子”にサンプルとして無料で配布してしまえばいい。

そういう使い方ができそうだから、毎月3万円を使うだけで、将来的にもっと大きな収入を作れる。

ってことは、とにかく人脈だけで儲けたい人に、このすばらしいネットワークビジネスの布教活動さえすればいいだけのことだなあ・・・。

そもそも人脈でビジネスしたい人たちは、儲けにがっつく人がほとんどだ。お互いWINWINの関係を構築できるのだから、話は進めやすい。

こんな報酬のいい楽な仕事に出会えたのはラッキーとしかいいようがありません。

なぜなら、いったん退職した文系の私にハローワークが紹介するのは、零細企業の飛び込み営業の職くらいしかなかったからです。

A社のこの『儲けのしくみ』は、お金がお金を自動生成する理想的なしくみ。成果を上げれば成果を上げた分と、部下がもたらす分までもらえる。

一体、この投資の利回りはどれだけのパーセンテージでしょう?

しかも原資は毎月3万円ですむのだから、これほどおいしい投資話は他にないくらいです。

正直就職するのが馬鹿らしく思えるほどだ。

だからこそ、同元だけが儲かるマルチ商法、ねずみ講とは異質のネットワークビジネスと当時騒がれたわけです。

誰も損をしないは三方良しのしくみは確実にウケる。世の中においしい話なんてあるわけがないというのはウソなんだな。

おいしい話は実は隠れたところにあったのだ。そう実感した。(頭の中で)ウシシシシ。

しかし、疑問が一つだけ残った。

なぜ、先輩や組織のリーダーたちは、友人のお宅に上がり込んで真面目にデモンストレーションしてるのだろうか。という疑問。

おかしいなあ、この『儲けのしくみ』の中核は、いかにバブル的な投資に興味のあるビジネスライクな人脈を下に築いていくことなはずで、、、。まあ、いわば人脈だけで商売をしたい人たちが子分の対象となるはずなのだが。

そんなの異業種交流会にガンガン参加して名刺渡して知り合いを増やして『儲けのしくみ』についてプレゼンしまわればいいだけなのに。

なぜ、信頼の深い友人相手にデモンストレーションをするのでしょう?

そのようなことは手間ばかりがかかります。最悪の場合は、友人を失う可能性の方が高いにも関わらず。

なぜ、そういうビジネスの仕方を展開したがるのだろうか?が、なぞの疑問符でした。

これは日配品を売りつける商売ではないはずです。
、
効率重視のお手軽ビジネスをしたい人だけを集めればいいだけの話なのに、、、。

その理由は行動を起こしてすぐに判明した。

そして、それは私に最悪の結果をもたらしました。

悪い予感はやはり的中するものなのです。

実際に活動を始めてみると、最初の段階で思いもよらない壁にぶつかりました。

異業種交流会で知り合った人たちに話をしても、誰も簡単には乗ってこないのです。

すぐに察知したのは、人脈で知り合う人々は『非常に利益にうるさい』ことでした。

ネットワークビジネスのことも調べ尽くしている印象。

メリットデメリットをうるさいほど熟知しているのです。

だから、話は通ずる。理解はされるが、動じないのです。

綿密にディスカッションしながらプレゼンに持ち込みますが、実にネガティブな方向にもっていかれるのです。

後に大きなビジネスが控えていたとしても、目先の損をリスクとして考える癖があるのか、まずは欲しい利益を確実に獲得できる確約が欲しいというわけです。

あるいは、A社の商品が確実に多くの人に売れるかどうかの正確なデータも要求されます。

おそらく利益が得られないと判明した場合に、売却に走りたいからでしょう。

「その商品は本当に自分にとって必要なのか」
「もし商品が自分に合わなかったらどうするのか」
「買ったものを誰かに売れるのか」
そんな質問が次々に出てきます。

しかし、これは単純に利回りの高さだけがうまみなのだから、完売にこだわる必要がないことになぜ目がいかないのでしょうか?

何でもいいから3万円分買っておいて使えるものは自分で使って、余ったり自分が使わないものは、それこそ友人にタダであげればいいのです。

それが実質サンプルになり、結果、仲間を増やすことに直接つながっていくのに・・・。

ところが、交流会で知り合う連中には何をどう説明しても、A社の商品が自分に合わなかった場合の売却先の確約にこだわる姿勢を崩さない。

しかし不特定多数への売却はA社が禁じているため、そのプレゼンはやろうにもできません。

ということは、結局のところ、日本人であればどんな人もAの商品だけで3万円を買う納得理由が欲しいということか。

私はA社のネットワークビジネスのうまみは投資の効率だけだと思っていた。

しかし、多くの人はそう考えない。

A社はメーカー、額面通り受け取るなら投資として商品を購入するのではなく、実用品として価値があるかどうかが購買を決める要素になる。

だから効率重視でお手軽に商売をしたいと人脈を築きたい人たちも、多くが商品価値に執着するのは仕方がないことかもしれないのだ。

投資(というしくみのありかた)に詳しければ、本来ならお金重視の投資と実用品として価値のあるものを購入することは全く別物とすることができるはずが、分けて考えることができない人がほとんどだった。

どれだけ報酬の仕組みが魅力的でも、商品そのものに納得できなければ、お金は出さない。

今なら当たり前だと思います。

でも、その当たり前が、当時の私には見えていませんでした。

なぜ見えていなかったのか。

それには、会社員時代に身につけた仕事の考え方も関係していました。

私は前の仕事で、商品を売るためには、その前段階にある市場調査が重要だということを叩き込まれていました。

現状を調べ、これから何が売れるのかを予測し、その予測をもとに提案し、仕入れ、販売し、結果を計測して、また改善する。

いわば、調査 → 予測 → 提案 → 仕入れ → 販売 → 計測 → 改善というマーケティングの流れです。

私は、そういう考え方で仕事をしてきたので、目の前の小さな利益よりも、その先にある大きな利益につながるなら、多少の先行投資や小さな損失は当然だと思っていました。

だから、ネットワークビジネスでも同じように考えてしまった。

毎月3万円の商品を購入することを「将来の収入を作るための投資」と考え、その先に大きな報酬が待っているのなら、最初の3万円など大した問題ではないと思っていたのです。

ところが、世の中の人は、そんなふうには考えません。

少なくとも、私が出会った人たちはそうでした。

自分にとって必要な商品なのか。
本当にその金額を払う価値があるのか。

そこを納得できなければ、いくら将来大きな利益が得られると言われても動かない。

そこで初めて、自分の考え方が世の中の常識だと思い込んでいたことに気づきました。

しかし、それ以上に大きな問題がありました。

商品を売るためには、相手との信頼関係が必要だということです。

となれば、交流会で知り合った初対面の人たちを相手にするよりも、商品のデモンストレーションを容易く受け入れてくれる信頼関係のある人への売り込みが効果的だということになる。

自分に信頼のある人たちとはどういう人たちだろうか?

答えはすぐに出た。

中学、高校、大学時代の仲の良かった同級生、先輩、後輩たちといった『友人』だ。

先輩やリーダーたちが、友人の家へ行って商品のデモンストレーションをしていた理由も、ようやくわかってきました。

そこで私は、次の壁にぶつかりました。

私には、友人がそれほど多くなかったのです。

昔から人付き合いが得意だったわけでもありません。しかも私は、友人との関係にお金を持ち込みたくないという思いが強くありました。

10代の頃、女性が絡んだことで友人と絶交になり、寂しい思いをしたこともあります。だからこそ、友人との関係にお金を絡めたくなかった。

ところが、先輩やリーダーからは、友人に連絡を取るように何度も電話がかかってきます。

「この人に声をかけてみたら?」
「昔の友達はいないの?」
「まずは会って話してみよう」

、、、「これ以上は進めない」と退会を決意。

当然、退会させまいと説得が激しい。当然です。さらに先輩との関係もあるため、ことは簡単ではありません。

確かに私もリーダー達と同様に、友人という位置づけを顔見知りくらいの感覚に思い込んでしまえば、うまくいくはずだろう、、と頭ではわかります。

しかし、やはりそれはどうしても避けたい。

そんな葛藤を繰り返す中で、ふと、ある1つの決定的な事実が見えてきたのです。

「簡単に稼いで、たくさんの時間を使えるようにして、人生を楽しもう」

そう言われて始めたはずなのに、実際にその活動をしている人たちは、毎日忙しそうだったのです。

人と会う。
ランチをする。
ディナーをする。
飲み会をする。
商品について調べる。
企業を訪問する。
情報を集める。
自分の下についた人たちと打ち合わせをする。

報酬を増やすためには、結局それだけの活動を続けなければなりません。

会社を辞めてA社一本に絞ったというリーダーたちには夫の給与がありました。

だから、毎日休みなくフルで活動につぎ込める、そして、働いた時間分の報酬を築ける。

またある先輩は、働く片手間で活動するため、報酬もお小遣い程度。

「ん?活動に応じた報酬となっている?それじゃあ、時給で働く方が得ではないか?」

何か目が覚めた感じがしました。

会社員には、

少なくとも週休2日の休みがあります。
祝日は休みです。
夏休みもあります。
正月も休みます。

ところが、こちらは「自由になるため」の活動なのに、初期のわずかな報酬を獲得するためでさえ、休みなしで活動を続けなければならないのです。

しかも、そのわずかな報酬もすぐに獲得できるわけではなかったようですし・・・。

そういった現実を目の前にすると、講演会で聞いた華やかな未来と、実際に目の前にある生活との違いが、はっきり見えるようになりました。

「このままハマれば、もらった失業保険を全額失ってしまうぞ!」

もし、先輩やそのリーダーたちが悠々自適な生活を送っていれば、続けるモチベーションにはなったかとは思います。

しかし、少ない報酬のためにあくせく働く姿は、講演や説得の言葉通りではなかったとの実証を突きつけました。

私は、そこでようやく理解しました。

「自由な時間を手に入れるために始めたのに、自由な時間を失っている。」

こうして、半年ほど会員を続けたところで、私は退会しました。

25歳の私が思い描いた、「少ない労働時間でウハウハ悠々自適生活」という計画は、半年で終わりました。

もう、ネットワークビジネスなんてこりごりです。

あんなものに手を出すものじゃない。

そう思っていた数日後、一本の電話が鳴りました。電話を取ると、前の会社の同僚の女性でした。

そして、その電話の内容は、またしてもネットワークビジネスの勧誘でした。

今度は別の会社です。でも、今度はきっぱり断ることができました。

その後も、誰かと知り合うたびに、株、宝石、絵画などの美術品購入や販売ビジネスの勧誘を受けることになります。

療術業になった現在でも、ときどきそういう話が舞い込んできます。

それはまた、別の機会にでも。

ところで、この話には続きがあります。

ネットワークビジネスに失敗したことで、「少ない労働時間で、たくさんの自由時間を手に入れる」という考え方を諦めたのか。

実は、諦めていませんでした。

20代後半、私は定時に帰れる会社員の仕事にありついていました。18時には会社を出られる生活。仕事が終われば、ゴスペルのリハーサルに行く。

そんな毎日を過ごしていると、私はそれこそが自分の求めていた「悠々自適のルンルンライフ」なのだと思うようになりました。

そして、やがて私は、別の方法で「自由な時間を買う」ことを考え始めます。その方法が、30代前半の私を、今度はデイトレードへ向かわせることになります。

買った株が紙切れ同然になり、多くの株を塩漬けにして放置することになるとは、このときの私はまだ知りません。

そして、今になって思うこと

ここまで書いておいて、少し誤解のないように付け加えておきたいことがあります。

この頃の私は、自営業をしようなんて、これっぽっちも思っていませんでした。

あくまでも、最初の会社選びに失敗しただけ。

もし就職した時期が就職氷河期でなかったら、もう一度就職活動をして、今度こそ定時で帰れる会社に入り直したい。

それが当時の私の本音でした。

ところが、現実には、仕事を辞めた後にハローワークで紹介される仕事といえば、私の記憶では、サービス残業だらけの零細企業の歩合制の飛び込み営業職などが中心でした。

「給料が半分以下!?同じ時間働くのだったら、残業代が出る前の会社の方がマシじゃないか!?」

そんな気持ちでした。

だから、正社員にこだわることもやめて、非正規でもいい、自分で仕事をしてもいい、とにかく自由な時間がたくさんあって、定年までなんとか働き続けられれば、それでいいのではないか。

当時は、その程度に考えていました。

そもそも、当時の私にとって「自営業」という言葉には、今とは少し違うイメージがありました。

自分で商売を始める人というのは、もっと大きく稼ぎたい人、金持ちになりたい人、会社員よりも成功したい人がなるもの。

そんなイメージです。

私は、そういう考え方にはあまり興味がありませんでした。

たくさん稼いで、たくさん使って、さらに大きな仕事をして……という人生よりも、ほどほどに働いて、ほどほどに稼いで、残りの時間を自分のために使いたかった。

だから、今の私が自営業をしていることを25歳の自分が知ったら、たぶん少し驚くと思います。

でも、もっと驚くのは、その自営業をしている55歳の私が、25歳の頃とそれほど違うことを考えていないことです。

今でも、別にお金持ちになりたいわけではありません。お金は大事だとは思いますが「とりあえず、できるだけたくさん稼いでおこう」という考えはありません。

ライフスタイルに関して目標があり、そのためにいくら必要になるのか、を緻密に計算しながら、収入の計画をまず立てて、事業を展開していることは確かですが・・・。

自営業という働き方を選んだのは、金持ちになるためではなく、就職氷河期の中で再就職がうまくいかず、会社員になる道を失った私にとって、結果的にそれが会社員に代わる働き方になったからです。

もちろん、今では東京の端っこの、少し田舎のようなこの地域で、自分の施術の仕事をすることを楽しいと思うようになりました。

でも、それは最初からそうだったわけではありません。

自営業を始めて10年くらい経った頃からでしょうか。

「ああ、この仕事、けっこう面白いな」そう思えるようになったのは。

それまでは、もっと単純な話でした。

生活するために働く。

できれば、自分の時間をできるだけ確保する。

60歳くらいまで働いて、その後は年金や退職金など、会社員なら普通に利用する制度に代わるものを自分なりに組み合わせて、あとは静かに暮らせればいい。

結局、25歳の頃から考えていたことと、それほど変わっていません。

考えてみれば、私は高校も大学も、勉強そのものが目的だったわけではありませんでした。

もちろん、勉強が嫌いだったわけではありません。

でも、「もう一歩高い勉強をしてみたい」「興味のある学科で専門的に学びたい」「研究をして、その成果と学歴を手に入れたい」というより、学校というものを、社会に出るための関門として見ていたような気がします。

大学を出る。
会社に入る。
働く。

そして定年まで働けば、ようやく本当の自由が手に入る。

私にとって会社員生活とは、そんな「長い関門」のようなものでした。大げさに言えば、兵役のようなものです。

だからこそ、そこからできるだけ早く自由になりたかった。

そして、その焦りが25歳の私を、ネットワークビジネスへ向かわせました。

「少ない労働時間で、自由な人生を手に入れる」

言葉だけを聞けば、今の若い人が考えていることと、そう大きく違わないのかもしれません。

ただ、私の場合は、そのための方法を何も知らなかった。だから、目の前に現れた「お金がお金を生む仕組み」に飛びついてしまった。

それが、25歳の私の最初の大失敗でした。

そして、もっと面白いことに、私はこの失敗から何も学ばなかったわけではありません。

「これはダメだった」ということは、ちゃんと学びました。

ただし、「自由な時間をたくさん持って生きたい」という願望だけは、まったく消えませんでした。

だから私は、次の方法を探しました。

それが30代前半のデイトレードでした。

……人間、なかなか変わらないものです。

――つづく。