(第六話)逃げて始めた仕事で逃げられなくなった理由—向いていたから続いたのではなく、逃げられなかったから残った。
あの手紙を読んでから、しばらくの間、考え続けていました。
何が間違っていたのか。なぜ、あの言葉を受け取ることになったのか。
すぐには答えが出ませんでした。
ただ、考えることだけはやめませんでした。
あるとき、ひとつのことに気づきます。
この仕事は「身体を扱う仕事」ではなく、「人生に関わる仕事」だった。
それまでの私はどこかで線を引いていました。
仕事は仕事。
できることをやる。
それ以上は引き受けない。
そうやって、自分を守っていたのだと思います。
でも、この仕事にはその線がありませんでした。どれだけ距離を取ろうとしても、結果的に関わってしまう。それが現実でした。
もう一つ、気づいたことがあります。
お客様はよく、自分の話をされます。身体のことだけではなく、これまでのつらかったことや、誰にも話していないことを。
最初は不思議でした。なぜ自分にそんな話をするのか。
でも、分かってきました。
私は話すのが得意ではありません。気の利いたことも、うまく言えない。ただ、聞いていることはできる。それをずっと欠点だと思っていました。
また、昔から、なぜか人に話しかけられることが多くありました。
初対面の人に離婚の話をされたこともあります。家族にも話していないようなことを、ぽつりと打ち明けられたこともありました。
自分から話しかけることはほとんどないのに、気づけば、誰かの話を聞いている。そんな場面が何度もありました。
工事現場でも同じでした。一人でできる仕事を選んだはずでした。それでも、気づけば人のいる場所に呼ばれることが増えていきました。
誰かの代わりに説明を求められたり、話をまとめる役、交渉する役に回されたりすることがありました。
自分では、そういうことを得意だと思ったことはありませんでした。それでも、そういう場面では、なぜか任されることが多かった。
相手に伝わるように、言葉を選ぶことだけは、ずっとやってきていました。日本に戻ってから、分からない言葉を、自分なりにかみ砕いて理解する。
その繰り返しの中で、人に伝えるときの言葉も、少しずつ変わっていったのだと思います。
相手がまだ言葉にできていないものを汲み取る。難しいことをできるだけ単純にし、イメージできる形にしながら相手に伝わる言葉で話をする。
あとから考えると、あのとき理解しようとしていたことが、別の形で使われていたのかもしれません。
だからこそ、今こうして人の話を聞く仕事をしていることは、どこか偶然ではないようにも感じています。
そして、それは役割でもあったのだと後から分かりました。
誰にも話せなかったことを言葉にしたとき、人が少し動き出す場面を見てきました。その場にいるだけで意味を持つこともありました。
そう思えたとき、ようやく、この仕事と向き合うことができました。
私は、この仕事を志で選んだわけではありません。逃げるために選びました。それでも、逃げきれなかった。
本当は、もっと隠しておくつもりでした。20代の頃のことは、できるだけ話さずに済ませてきました。話すとしても少し前向きになってからの話だけ。
それでも、なぜか聞かれるのです。
これまでのことを。
どこから来たのかを。
できれば、触れたくありませんでした。
でも、そこを抜きにしては、今の話が成立しない。
だからこそ、今、向き合っています。
結局、ここでも逃げきることはできませんでした。
どんな理由で始めたとしても、続ける中で何と向き合ったかが、その仕事を変えていく。
もし今、自分の選択に引っかかりがあるなら、それは、まだ途中にいるということなのかもしれません。
そして今も、実は、本当は逃げたいと思うことがあります。
この仕事そのものも、いつまで続けられるのだろうと思うことがあります。
時代は変わり、求められるものも変わっていく。この先、自分が必要とされ続ける保証なんて、どこにもありません。
50代に入ってからの経験からそう実感しています。まだ必要としてくれる人がいるから、何とか頑張れる。とてもありがたい気持ちではありますが、前なら乗り切れた疲れが抜けず、身体を使う仕事の重さを、以前より強く感じるようになっています。
“必要とされること”と、“無理なく続けられること”は、必ずしも同じではないのだと実感している、だからこそ、もし逃げきることができたなら、それはとてもラッキーなことだと思うのです。
現在55歳、あと5年。最初に決めた目標にたどり着けるかどうか。
そんなことを考えながら、今もこの仕事を続けています。
(終わり)


