~療術業に大きく梶を切るきっかけとなった社内の事件と、国家資格ではなく、民間資格の位置づけであるカイロプラクティックを選んだ真の理由について
「感動的な施術に出会い、脱サラして治療家になりました」整体業界でよく聞く美しい成功譚ですが、私の場合は全く違います。
私がこの世界に入ったのは、そんな綺麗な理由ではありません。人には話せない今の仕事への本当の志望動機⓪での話と少し重複しますが、もっと泥臭く、冷徹なほどに合理的な「生き残り戦略」、そして人生のピンチをひっくり返すためについた「一つの嘘」が始まりでした。
話を戻しますが、なぜ私は、多くの同業者が目指す国家資格を選ばなかったのか? なぜ民間資格にすぎないカイロプラクティックに、激変する社会を生き抜く勝機を見出したのか?

◆学生時代はとにかく働いていた
私は昔から、お金のことで親に頼るのが苦手でした。中学時代、内申点の関係で高校は都心の私立進学校へ進学しました。
ところが、入ってみると周囲はお金持ちの子ばかり。親から月に何万円もお小遣いをもらっている同級生が珍しくない世界でした。
一方、うちは父がお金に厳しく、お小遣いは成績次第。しかも、どれだけ頑張っても上限は5000円でした。当然、それでは友人たちと付き合うことはできません。私は早い段階で、「親からのお金は期待しない」と決めました。
高校時代はファーストフード、建設現場、ポスティング。大学に入ってからも、コンビニ、喫茶店、ファミレス、高級レストラン、深夜の展示場設営、家電配送の助手、引っ越し作業など、とにかく働きました。
授業の前に働き、授業の後にも働く。一日にアルバイトを4つ掛け持ちしていた時期もあります。
大学時代は、サークル活動、英会話、免許、ゼミ、趣味、合宿、交友関係など、何かとお金がかかりました。
私は経済学部以外にも、商学部や文学部の英文科など他学部履修をして、グローバル経済やマーケティングも自分なりに勉強していました。
だから、毎月必要なお金は10万円以上。3年生以降は時には20万円近く必要な月もあり、父から扶養控除のことで怒られたことを覚えています。
その頃から私は、「どうすれば効率よく働けるか」「どうすれば将来の準備に必要な時間を確保できるか」を常に考えるようになっていました。
就職して見えた「会社員の限界」
就職活動を始めた頃、私はまず「会社というもの」を体験してみたいと思いました。
外資系大手損害保険会社で、学資ローンの電話営業をするアルバイトを始め、朝9時から18時まで正社員と同じように働きました。学生ながらも真面目に取り組み、工夫して成果を出したことで、部長から直接声をかけてもらえるようにもなりました。
ただ、その時にふと思ってしまったのです。
「正社員になっても、下積み時代はずっとこの電話営業なのかもしれない」
そう考えると、どうしても気持ちが前に進みませんでした。
結局、その会社への就職は見送り、その後、ソニー半導体の販社に就職しました。半導体や設計図の知識を一から学び直しながら働く毎日は大変でしたが、最先端の業界を知るという意味では、本当に良い経験でした。
ただ、商社は激務です。
残業と休日出勤が当たり前の環境で、私は体調を崩し、退職を余儀なくされました。
そして、その直後に両親の別居と離婚が重なります。母の生活を支えなければいけないうえに、母自身もスクールに通い直したいと言い出し、生活費の全面支援の必要性が出てきました。
そうなってしまいますと、手元にはどうしても現金が必要となります。失業保険の支給開始まで3か月。
その期間を待っている余裕はありません。退職後すぐに、工事現場、警備員、コールセンター、通信インフラの保守作業など、とにかく現金になる仕事を掛け持ちして生活費を稼ぎました。
その結果、体調はさらに悪化し、長期の通院が必要になってしまいました。
しかも、当時は就職氷河期の真っ只中。
次の安定した企業に転職できるまで、結局3年の月日がかかりました。
安定職についても不安は消えなかった
ようやく転職できたのは、福利厚生がしっかりした大手企業の事務職でした。
ただ、事務職は決して高給ではなかったため、土日や休日はマンション販売の補助アルバイトや、映画のエキストラなどの副業をして働いていました。
それでも、当時の私にとっては、体調に不安を抱えながらでも働ける理想に近い職場でした。
しかし、就職して2年ほど経った頃、隣の部署の社員全員が派遣会社へ転籍させられるという衝撃的な光景をのぞき見してしまいます。
当時は、アウトソーシングや派遣化が一気に広がり始めていた時代でした。目の前で行われた大リストラ劇を見て、背筋が凍りました。
「10年後、この事務職という仕事はすべて派遣社員に置き換わっているかもしれない。」
実はその頃、式の日取りが決まり、正に3か月後には結婚という現実が控えていました。
そして、まだ学校は決めていませんでしたが、妻と妻の両親に嘘として話したはずの整体の学校への入学は、結婚式の6か月後と、それだけは確定していたのです。
とはいえ、私の本音はあくまで「会社員生活を続けていきたい」のままでした。
結婚はすることになったけれど、なんだかんだ理由をつけて学校には行かず、そのまま会社で正社員として雇ってもらい、どこかのタイミングで「会社員一本の人生」へと軌道修正を図ろう。そう目論んでいました。
しかし、この隣の部署の大リストラ劇を目の当たりにしたことで、「このまま会社員になることにしがみついて軌道修正を狙っていても、自分の将来は本当に大丈夫なのだろうか」と、一気に現実味を帯びた将来への不安が襲ってきたのです。
嘘から始まったはずの「整体」という選択肢が、会社の現実を突きつけられたことで、一気に「生き残るための唯一の現実解」へと変貌した瞬間でした。
もう一度、自分の力で食べていける職業を真剣に選び直さなければならない。私は、いよいよ退路を断たれて考え始めました。
◆国家資格なら安心とは思えなかった
将来性を考えるなら、国家資格を取るべきである。最初は、私もそう考えました。
企業相手に仕事をするなら行政書士や社会保険労務士、あるいは中小企業診断士か。もし体に関わる道へ進むなら、柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、理学療法士が候補になるだろう。
あらゆる資格を検討しました。
しかし、調べれば調べるほど、「資格さえ取れば安泰」という時代ではないことが見えてきたのです。
行政書士は、将来的に法人化やアウトソーシングが進めば低価格化するかもしれない。
社会保険労務士も、システム化が進めば無資格の事務職が代行する時代が来るかもしれない。
当時はマーケティングやマネジメントの手法を組み合わせた総合的な企業経営指南として中小企業診断士も魅力的でしたが、当時のマーケティングブームが一時の流行で終わるリスクも否定できませんでした。
では、体に関わる資格はどうか。
柔道整復師は、健康保険制度の変化によって経営が大きく左右される。
鍼灸は、筋骨格系の関節アプローチにおいて独自の制限がある。
あん摩マッサージ指圧師は、そもそも養成門戸が非常に狭い。
理学療法士は、学習内容としては非常に優れていましたが、単独での開業権がありません。しかも、仮に理学療法士の資格を持って整体院を開業したとしても、法律上の位置づけは民間療術業と同じになります。
だったら、資格の名称そのものよりも、「具体的にどんな中身(技術・理論)を学ぶか」の方が重要ではないか。私はそう考えるようになりました。
◆決め手は「高齢化社会の変化」だった
では、どんな仕事なら本当の将来性があるのか。かなり長い間、考え続けました。
その時、ふと思い出したのが、打ちっぱなしのゴルフ場の光景でした。
年齢を重ねても、スポーツを続けたい。趣味を楽しみたい。仕事を続けたい。そう思う人は、これからどんどん増えるはずです。
これからの高齢化社会は、ただ長生きするだけでなく、「元気に動ける状態で長く生きたい」という“健康寿命”の方向へ変わっていく確信がありました。
ゲートボールよりもゴルフ。散歩だけでなく、旅行や登山、スキー、スノーボードをいつまでも現役で楽しむアクティブなシニアたち。
しかも、これからシニア層になるバブル経験者世代は、昔ながらの「手探りで創意工夫する苦労」よりも、効率性を重視する傾向があります。失敗を嫌い、最初から専門家を頼って確実な成果を得ようとするマインドを持っています。
当時はまだその兆候は薄かったですが、自分が修行を終えて開業する頃には、身体のケアを専門家にアウトソーシングする時代が確実に到来すると予見しました。
そうなれば、筋肉や関節のケアに対する需要は間違いなく爆発します。
しかも、対象はトップアスリートだけではありません。
「50代以降になっても、自分らしく、生まれたままの健やかな身体で動き続けたい」と願う、すべての一般の方々です。
そのための身体のケアは、これから何十年も必要とされる。私はそこに強い将来性を感じました。
資格よりも中身を優先した
高い将来性があり、その価値をうまく伝えられれば、巨大な潜在需要を掘り起こすことができる。
そう考えた時に、やはり私の頭に浮かんだのが「カイロプラクティック(骨格矯正)」でした。かつて結婚の挨拶で偶然口にした「整体」という言葉は、今思えば運命的な引き寄せだったのかもしれません。
私のお店のプロフィールには、かつて私がカイロプラクティックを受けて「姿勢や骨格のバランスを土台から整えることで、頑固な身体の重さがすっきりと心地よいコンディションに落ち着き、人生の再スタートを切れた」という体験談を載せています。
この感動自体は本物です。
しかし、それがこの道を選んだ直接の“動機”かと言われれば、実は違います。
長年お店を営んでいますが、施術の素晴らしさに感動したからといって、今の仕事を辞めてまでケアの世界に飛び込んでくるお客様など滅多にいません。私自身も同じです。
「感動したから目指した」というような、単純な理由だけで人生最後の職業を選んだわけではありません。私はもっと徹底的に、合理的に考えて選びました。
その一番のポイントは、業界の「仕組み」と「将来的な位置づけ」です。
当時、日本におけるカイロプラクティックは民間資格であり、公的な国家資格ではありませんでした。しかし当時は法制化の機運が非常に高まっており、「近いうちに法的な枠組みが整備されるかもしれない」という期待がありました。
さらに、たとえ法制化がすぐに実現しなくても、省庁から認可を受けた信頼性の高い業界団体に所属して活動すれば、個人経営であっても業界全体のガイドラインやサポートの恩恵を受けられ、何かあった際のリスクマネジメントが非常に強固になるという大きなメリットがありました。
民間でありながらも、確かな組織力をバックに活動できる点こそが、私がカイロプラクティックを選んだ最大の戦略的ポイントだったのです。
◆技術で何ができるかが、一番の価値
民間資格でありながら、実質的に高い信頼と専門性を認められている分野は他にもあります。
例えば「臨床心理士」も、医療や教育の現場で深く信頼されていますが、実は各種セラピストと同様に、省庁から認可された団体や学会が認定する民間資格という位置づけです。
こうした先例を見ても、必ずしも国家資格という形式だけにこだわる必要はないと考えました。
そして二番目の決め手が、やはり「中身の将来性」です。
カイロプラクティックは、西洋医学の解剖学や生理学を土台にしながらも、整形外科とは異なる独自の徒手技術の体系を持っています。研究次第で、まだまだ発展する可能性を秘めていました。
そして何より、私がイメージしていた「一般の方の身体を長く、パーソナルに支える仕事」に最も合致していたのです。
もちろん、国家資格ではありません。しかし私はそこで、「資格の有無」よりも、「その技術を使って、目の前のお客様に何が提供できるか」の方が遥かに重要であると結論づけました。
資格取得のために専門学校で何年も浪費するよりも、本当に必要とされる高度な技術を、できるだけ早く、深く身につける。その方が、時代の変化のスピードにも、自分の描く将来のビジョンにも合致している。
そう確信し、私はあえて国家資格に縛られない、プロフェッショナルなカイロプラクティック施術者としての道を選んだのです。


