(第二話)ちゃんとやれない自分からずっと逃げていた
人とうまく話せないというだけで、こんなにも生きづらくなるのかと思っていました。
きっかけは帰国でした。
小学校3年の終わりに、オランダから日本に戻ってきたのです。
父の赴任で住んでいたその町には、日本人学校がありませんでした。通っていたのは、現地の幼稚園と小学校です。
家では日本語を話していましたが、外に出ればすべてオランダ語でした。
遊ぶときも、授業も、ちょっとしたやり取りも。日常のほとんどは、オランダ語でできていました。
だから当時の私は、「生活の細かいこと」を日本語でどう言えばいいのかを知りませんでした。
また、オランダでの学校生活は、お絵かきや音楽、体を動かすことが中心で、「勉強」と呼ばれるものはほとんどありませんでした。
ところが日本に戻ると授業は一気に進んでいました。
小数点、分数、理科、社会。
言葉も内容も何を言っているのか分からない。
授業が理解できないというより、先生の言葉そのものがうまく頭に入ってこなかったのです。
日常会話もろくにできない、少し複雑になると全く何も分からなくなってしまう。
そのズレは思っていた以上に大きなものでした。
気づけば、自分の思いや感情を表現することが苦手な存在になっていました。
何を言ってもどこか違う気がする。伝わっていない気がする。
一度、言い直したことがあります。でも、余計にズレた気がしました。
それが怖くて、自分から話しかけないことを選ぶようになりました。
中学に入ってもその状態は大きくは変わりませんでした。
友達はいないわけではない。でも、どこか一線がある。
自分の中にあるものをそのまま出すことができない。その感覚だけが、ずっと残っていました。
高校に入って私はやり方を変えました。
会話についていくために、人の発言をいくつも覚えて、パターンのようにしていったのです。
こう言われたらこう返す。この流れならこの言葉。
頭の中にいくつも用意して、その場で当てはめようとしました。
でも、うまくいきませんでした。
会話の中で次に何を言えばいいのかを、記憶の中から探している間に、会話は先へ進んでしまう。「これだ」と思っても、そのタイミングはもう過ぎている。
気づけば、何も言えないまま、その場にいるだけになっていました。
それでも、会話に入っていないと思われるのは嫌でした。ボッチだと思われるのが、恥ずかしかった。
だから、私は人を少しからかうような言葉だけを選ぶようになりました。
深く関わらなくても済む、軽い返しだけをして、あとは、うまく会話に入っているように見せる。何となく笑って、何となくその場にいる。
そんな存在でいるのが、精いっぱいでした。
結局、それも長くは続きませんでした。どこかで無理が出てうまくいかなくなる。
大学に入ってようやく少しだけ楽になります。
環境が変わったことで、気の合う人もできて、本音を話せる場面も増えました。
「これでやっと普通に戻れたのかもしれない」
そう思ったことを覚えています。
でも、社会に出た途端、それはあっさり崩れました。仕事になると、また同じことが起きたのです。
言葉がうまく噛み合わない。人との距離感がつかめない。少しずつ、周りとのズレが広がっていく。
気づいたときには、居場所がなくなっていました。
せっかく入社できた会社も、2年も経たずに辞めることになります。
本来であれば、そのまま家に引きこもっていてもおかしくはありませんでした。
ただ、そうできない事情がありました。
外から見れば分からない類のものですが、止まるという選択だけが、なぜか許されない状況でした。
それは、誰かに言われたわけではなく、気づけばそうなっていた、という種類のものです。
当時の私は、それを特別なことだとは思っていませんでした。
また、会社をやめてから、ひとつ分かったことがありました。
当時は、いわゆる就職氷河期のはじまりの頃で、第二新卒採用の開始はまだ先でした。古い価値観のままの時代では、短期間で辞めた人間に紹介される仕事は限られていました。
人気のない職種、特に人手の足りない現場の仕事ばかりでした。
しばらくして、ひとつの現場に立っていました。踏切の工事でした。
仕事が終わって、人がいなくなったあと、そのまま、そこに残っていました。
目の前に、線路がありました。
ここに立てば、終わる。そう思いました。
遠くから電車の音がして、少しずつ近づいてきます。
そのとき初めて、仕事中には感じなかったことを感じました。
風圧。
音。
空気の押される感じ。
体が動きませんでした。怖いと思いました。結局、何もできずに、そのまま帰りました。
生きていくのはつらい。でも、死ぬこともできない。
そのあと、少しだけ、投げやりになりました。
ただ、どこかで、ひとつだけ、感覚が変わった気がしています。
どうせ、うまくできないのなら、もう少し、自分の思うように選んでもいいのではないかと。
人と関わりたくない。
そこから先はなるべく人と関わらない仕事を選びました。
昼は工事現場。
夜はガードマン。
体はきつかったけれど、気持ちは少しだけ楽でした。
話さなくていい。それだけで、ずいぶん救われていたのだと思います。
あとから振り返ると、あのとき、やはり、少しだけ考え方が変わっていたのかもしれません。
「どうせなら、思い通りに生きてみればいい」
そんなふうに思った記憶があります。
また、あの頃の私は、「できないこと」と向き合う代わりに、「やらなくていい環境」を選び続けていました。
それでも、生きていくことはできる。
ただ、そのやり方にはどこかで限界が来る。
このままでは、いけないのではないか、と。
(→第3話へ)



