(第四話)「これならできるかもしれない」と思ってしまった瞬間—向いていると思ったのは、単に“できそうだったから”でした。
その頃の私は“自分でやる”という方向だけは決めていました。
問題は、何をやるかでした。
特別な夢があったわけでも、強い憧れがあったわけでもありません。
ただ、現実として、
・食べていけること
・できれば長く続けられること
・そして、できるなら逆転できること
その条件を満たすものを、探していました。
では、なぜ「整体」を選んだのか。特別な理由があったわけではありません。
やりたいと思ったわけでも、強い興味があったわけでもありません。
ただ、ひとつだけ、頭に残った場面がありました。
肉体労働で体を痛めて、鍼灸院に通っていたときのことです。
施術が終わった人が、受付でこう言いました。
「先生、ここにお金置いておきますね。また来週来ます」と、当たり前のように帰っていく。
特別に会話があるわけでもありませんでした。
先生は、どちらかというと寡黙な方でした。
それでも、その人は迷いなく、次も来ることを前提に帰っていった。
その光景を見たとき、これなら自分でもやっていけるかもしれない。そう思ってしまったのです。
理由はとても単純です。
会話が得意でなくてもいい。人と深く関わらなくてもいい。それでも成立する仕事があると思えたから。
人と深く関わることにずっと苦手意識があった私にとって、それはひとつの“救い”のように見えました。
さらに、高齢化が進めば、身体のケアに対する需要は増えるはずだ。
そんな予測も、後から理由として加わりました。
需要がある。
続けられそう。
そして、
自分でもできそう。
条件は、揃っていました。
ただ、今思えば、それはどこかで見たことのある感覚でもありました。
疲れたときに、「これならやっていけるかもしれない」と思える場所を探す。
できるだけ負担が少なく、できるだけ自分に合っていそうで、現実から少しだけ距離を取れるような仕事。
私にとっての整体は、どこかそういう位置にありました。
一方で、その頃の私は、できることなら、会社の中にいたいとも思っていました。
目立たず、
大きな責任も持たず、
毎年の定期昇給だけを積み上げて、
ただ与えられた仕事をこなしていく。
そして定時になれば帰る。
それを定年まで続けていけるなら、それでいい。そんな場所に、どこか安心を感じていました。
でも実際には、そこに居続けることができなかった。
初めて転職したオフィスワークも、試用期間が終わる頃には続けられなくなっていました。
そのとき、私は28歳でした。
もう、自分がやり直せる年齢ではないのかもしれない。そんな感覚が、どこかに残りました。
そして、どんな仕事でも、役に立たなければ居続けることはできないのだとも思いました。
当時は、就職氷河期が本格化していた頃でした。
それまでなら時間をかけて育てられていたような人でも、すぐに結果を出せなければ残れない。そんな空気が社会全体にありました。
一度つまずけば、そのまま転職を繰り返し、気づけば社会に戻れなくなっていく人も少なくありませんでした。
健康に問題がない、仕事ができるかどうかだけではなく、愛想がいいか、扱いやすいか、見た目の印象がいいかどうか。そんなことまで含めて、簡単に人が切られていく時代だったと思います。
だからこそ、別の場所に目を向けるしかありませんでした。
しかも、もはや、選べるものの中から選ぶしかないという状態―何かを積極的に選んだというよりも、残っている選択肢の中から考えるしかない、そんな感覚でした。
その中にあったのが、整体でした。
本気で目指すというより、行き場がなくなったときの最後の選択肢として頭に置いていたもの。
だからこそ、「できそうだ」と思えたこと自体が、選ぶ理由になってしまっていました。
もちろん、今振り返れば分かります。
それは“できるかもしれない理由”を自分で集めていただけでした。
本当にその仕事に向いているのか、何を引き受けることになるのか、そんなことは、
ほとんど考えていませんでした。
それでも当時の私は、その選択にどこか納得していました。やっと見つけた、自分にもできそうな道。そう思えたからです。
少なくとも、“できないこと”から逃げ続けるよりは、前に進んでいる気がしていました。
でも――
このときの私は、まだ分かっていませんでした。
“できそう”という感覚が、どれだけ曖昧でどれだけ危ういものだったのかを。
そして、その選択がどこにつながっていくのかも。
その“危うさ”は、あとになってはっきりと形になります。
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